在るだけで、祝福されている
今日2月6日は満月、そして私の誕生日でもあります♡
少し前までは、迎えることがないと思っていた日・・・。
昨日、そうぼんやりと考えていたら、陽射しを浴びた目の前の大きな樹が、祝福のエナジーを送ってくれました。
こうして、生きとし生けるものはみんな、在るだけで祝福されているんですね。
この無条件の愛がどういうものかわかるまでには、本当に色々なことがありました。
執着を手放し、宇宙にゆだねて、自分を解放する。
そのプロセスを経て、やっと。
個々の魂を、信じる
執着って、誰かに対して抱くこともあって。
昨年、愛犬の写真でカレンダーを作成したとき、私は今年1月以降、彼女ともう一緒にいられないかもしれないと思っていたので、こんな表紙にしていました。
泣けますねぇw 本人、読めないのにww
昨年までは、犬の平均寿命を考えても、私がこのコを天に送り出す日が先に来ると思っていて・・・でもそんなこと考え始めると、未来が恐ろしかったのを覚えています。
私にとっては、最大の理解者であり、人生のパートナー。このコがいたから、生きてこれた。
もし何かしらのサインを見逃して、それが原因でこのコが逝くことになってしまったら、私は自分を一生責めて後悔するだろうと思ってきました。
ところが、私が先に逝く可能性が高まったとき、ふと気づいたのです。
私が思っていたことすべて、愛着というより、エゴによる執着であることに。
私が抱く、彼女を失う恐れ。
そして、それから来る、コントロール欲。
でも彼女は私の所有物でも何でもない、ひとつの魂なんですよね。
生きとし生けるものが死を迎えるときは、あちらの世界から還っておいでと呼ばれるとき、もしくは自分の魂がそう望んだとき。
それを私は今回、自分の死の扉を体験して知りました。
他者に、それを介入する隙なんて、ないんですよね。
近しい人や動物を亡くした方で、もっと早く気づいてあげれば・・・そう後悔したり、自分を責めたりしている人は多いでしょう。
でも、偶然なんて、ない。
宇宙の秩序って、そんなものではないんですよね。
いくら私が飼っている犬だからといって、彼女は彼女の魂の計画に沿って生きているのです。
もっと本人の魂の部分を信じてあげてもいいのだと思うようになりました。
もちろん、譲り受けた以上、彼女が健康で豊かな人生を送れるように、本人の意思を尊重しながら、私が出来ることは出来る範囲でやっていくつもりです。
でも、私にとって大事な存在だからといって、私が彼女の魂の計画を曲げられるほどの影響力を持っていると思うなんて、見当違いだと気づきました。
お互い、魂同士。
それぞれの旅があって、学びがあって。
そしていつかまた、交差する日は、来る。
相手の自由意思を尊重しながら共に生き、いつかそのときが来たら、無条件の愛と感謝で送り出してあげよう。
そのほうが、満たされたエナジーを相手に送ることができるんですね。
無条件の愛を、思い出していく
この地球にいようと、別の次元にいようと、どの魂も祝福されています。
それが、無条件の愛。
ただ、そこに本人が気づけるかどうかだけの違い。
無条件の愛がどういうものか、感覚として忘れてしまっている人も多いです。
子どものときから「いいコ」「笑顔」「いい人」が条件となっていて、愛を得るためには自分が何かを差し出さなければいけないとか、差し出す代わりに愛という見返りを求めてしまうとか。
生きとし生けるものはすべて、在るだけで、祝福されている
シャワーを浴びるときに目を閉じて、祝福のエナジーが光のシャワーとなって自分に降り注がれているように視覚化してみてください。
無条件の愛を、自分にも他者にも与え、それが循環するように全体を包み込んでいくことは、本来どの魂もできること。
忘れてしまっているだけの感覚を、少しずつ思い出して取り戻していけばいいのです。