ソニアのききみみ

感覚で捉える光を綴ります

「自分」という幻想を、超える

State of Being Beyond 'Myself'

自分の姿形すら、幻想?

日が暮れて、辺りが薄暗い中を犬と散歩していたとき。

この世界は、すべてが幻想

そんなことが、ふと頭をよぎりました。

そうだとしたら、いま目に見えていて「そこにある」と思っているものも、すべて幻想なのかな?

もしかして、いまここにいる私自身も??

そう思った瞬間、自分がふわっと浮いて、気が遠のきそうに。

自分の身体が一瞬のうちに分子や微粒子など最も小さな構成要素になって、ほどけていくような感覚があったのです。

でもすぐに、目の前の犬を置いてその場から消えるわけにはいかないと、慌てて踏みとどまりました。

「すべてが幻想」だと心から気づいたとき、「自分」という存在は、形という実感を伴わないものになることもあるのかもしれません。

幻は幻と認識すれば消える

エックハルト・トール著『ニュー・アース

「自分」のことも幻想だと認識したら、その姿が周りから見えなくなることも、もしかしたらあるのかもしれません。

以前、部屋の隅で瞑想をしていたとき、部屋に入ってきた家族は私がそこにいたことに気がつかず、私の傍にいた犬だけが見えたそうです。

私のほうは気づいていましたが、同時に別のところに意識があったので、部屋では姿形をしっかりと伴っていなかったのかもしれません。

自分がこの世界に形を伴って存在しているというのは、きっと左脳で理解している。

もし右脳だけ働かせたら、自分と自分の外側を隔てる境界というものはなくなり、他と溶け合った状態になるのかもしれない。

右脳で味わう、自分の広大な本質

そんなことを考えていたとき、脳科学者のジル・ボルト・テイラー博士のことを思い出しました。

博士は、著書『WHOLE BRAIN(ホール・ブレイン) 心が軽くなる「脳」の動かし方』で、左脳の出血性脳卒中の体験をこのように語っています。

外部からの知覚情報を処理する左頭頂葉の損傷があり、言語と「個」の意識もなくなったため、自分の体がどこから始まりどこで終わっているのか、その境界を識別することができなくなりました。

やはり、左脳が停止すると、自他の境界を認識できなくなる。

では、右脳だけ働いているときはどのような感覚になるのかというと・・・。

私の自己認識は大きく変わりました。自分が宇宙と同じくらい大きなエネルギーの「球」だと感じました。完全に右脳の意識へと移行し、自分の本質は、広大で、まるで音のない幸せに満ちた海を泳ぐクジラのように、魂が自由に飛び回っているような感じ。

これはまさに、私が変性意識でヒーリングをするときと同じ感覚。

意図すれば、何でも見えて、どこにでも行けて、エナジーを動かすことのできる、自由で広大な意識。

至福感の鍵を握っているのは、やはり右脳。

左脳がついに完全停止を余儀なくされたとき、私は右脳の安らかな意識に包まれ、そこでは危機感がすっかり失われていました。私の右脳は、過去の後悔も、現在の恐れも、未来への期待もなく、今ただこの瞬間だけに存在していました。

「いま、ここ」にあるとき、そこに「自分」はない

自らの広大さを感じているときは、「自分」という幻想は消えています。

エゴフリー。

「自分が○○である」から解放されている。

過去・現在・未来の自分というものを認識することなく、ただ「いま、ここ」にある。

「いま、ここ」はぐれびとへの処方箋』に書いたのですが、人は、自分というものを認識するとき、時間軸と空間軸を用いて捉えます。

時間と空間の認識を与えてくれる左脳が静止しているとき、人は時間と空間の中に閉じ込めていた自分を解放するのです。

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私は「自分」という幻想を生きている
自分が思う「自分」は幻想

そう一歩引いて自分を見るようにすると、「これが自分」というものにとらわれたり、埋没することが減っていくかもしれません。

「自分」とはいかようにも変えることができる自由な存在であり、そしてその選択肢は常に私自身が握っている

「自分」という幻想を超えて「いま、ここ」体験を増やしていくことで、この世界にいながらにして、万能感や至福感を得ることができるかもしれません♪

ジル・ボルト・テイラー博士が自身の右脳体験を語っている動画です↓