誓いか、呪いか
人は、気づかないうちに、それこそ幼少期の頃から、あるいは生まれる前から、自らに誓いを立てています。
誓いの種類にもよりますが、ほとんどが条件付き。
何かをすることで、あるいはしないことで、得たいものを得ようとする。
目立たずにいることで安全でいられる、貧乏でいることで清廉さを得られるなど。
それがいまの自分と矛盾していなければ問題はないのですが、合わなくなってくると葛藤となって苦しみが生まれます。
自由な意思・発言・行動を、無意識に自ら制限しているので、見方によっては、一種の呪いとも言えるかもしれません。
ロウアーセルフからの声
たとえば、私の首に楔のようなものが打ち込まれていたことがあったのですが、それが自由に自己表現することや、自己主張することを阻むものとなっていました。
人によってその原因は様々ですが、自分が感じたことを素直に出したときに、相手に理解してもらえず不和を生んだ、世間とズレていておかしい、現実的ではないと批判された、親に叩かれた、友達に仲間外れにされたいう体験が、幼少期や過去生であったとします。
すると、自由に自己表現や自己主張をすることは、周りから制裁を受けるということなのだという方程式が、出来上がります。
その恐れから、低次の自己、ロウアーセルフが、自分を制裁から守るために誓いを立てるわけです。
危険だから、自由に自分を表現したり主張したりすることはしない、と。
「こうすると危ないよ」「こんな危険なことが起きるよ」と事あるごとにリマインドしてくるのがロウワーセルフなのですが、それが必要以上に自分の足枷となるときは「もうそんなことないから大丈夫だよ」と教えてあげることが必要となります。
誓いを見直し、自分を解放する
上記の例でいうと、自分を自由に表現・主張しなければ安全でいられるというのは、ある環境・条件下ではそのとおりだったのです。
そのときは自分を守るために必要だった。
でも、今はどうでしょうか。
その誓いがいまの自分にはもう必要のないことに気づいたら、それを破棄し、自由な自己表現・自己主張を自分に許可していきます。
自分を自由に表現することが安全であること、自分にも他者にも良い影響を与えることなどを、潜在意識で置き換えたり、その感覚を浸透させます。
自分では難しいことはあるので、ヒーリングを頼ってみてもいいでしょう。
今回は自己表現を例に挙げてみましたが、何かしらの誓いを自分に立てていることに気がついたときは、その必要性を見直してみましょう。
自分を自由に解放するチャンスでもありますから♪