エナジーを、ごちゃ混ぜにしてみた
3月、4月は、いつもの自分ならやらないようなことを立て続けにやってみました。
自分の世界だけで完結させているときは「閉じている」状態ですが、あえてそこをガバッと開けて、わーっと色んなものを外側から入れてみたんです。
新しい情報、視点、人、環境、コミュニケーション方法、etc.
具体的には、新たにヒーリングの手法を一から勉強し、講座を受け実践し、色んな方からヒーリングを受けるという体験です。
私は、ヒーリングを施す側として、日頃から、独善的になっていないか気をつけたり、ほかにもっといい方法はないか探求するようにしています。
「自分には見えていない、何かがある」可能性を、常に残しているから。
裏を返せば、「確かなものが欲しい」という欲求もあり、その確かなものが得られるかもしれない体験を、ひととおりやってみようと思ったんです。
そして、得られたもの
短期間の集中トレーニングで概念や手法を吸収し、めまぐるしい日々が過ぎた今。
自分にとって新しいことを学ぶという充実感や、色んな方とふれあうことの楽しさを味わったものの、そういえば結局、自分にとって「確かなもの」は得られたのだろうか。
そもそもここ数週間で、自分は本当は何をしようとしていたのか、高次の視点で振り返ってみることにしました。
アストラルトラベルでピラミッドの奧に入り、そこにいたネフェルタリのような名前の方に尋ねてみると、次のような回答が返ってきました。
外から情報をたくさんインプットして学んだように思えても、それはあなたが求める「確たるもの」にはつながりません
世界がどう成り立っているかは、その人の見る真実によって完結するもの
他者の視点で自分の世界の成り立ちを見ようとしても破綻します
どんな人にも、内側に神殿があります
それを敬いなさい
あなたがやっていることが正しいと証明する必要などありません
あなたは、ありのままのあなたであり続ける
ただ、それだけのことなのです
確かに、ひとつのヒーリング手法をみっちり学んだものの、今まで自分がヒーリングで行ってきたことをマニュアル通りにやり変えようとすると、今まで見えていたものが見えなくなったりしました。
「こういうふうに見えるはず」というフィルターで見ようとすると、見えない。
自分の感覚よりも、誰かの「こうでなければならない」を優先しているからです。
では、結局何が正解で、確かなものなのか。
どうやら、それを追求することに、あまり意味はないということのようです。
自分が感じるものがすべて。
だけど、それも移り変わる。
それがつかみどころがなくて、不安で心許なくて・・・という怖れにつながっていそうな感じがして嫌だった部分があるのですが、怖れベースではなくて、確たるものがないからこそ、遊べるし、色々やりようがあるし、伸びしろあるじゃん。的な感じであれば、確たるものがなくたって全然大丈夫なのかもしれないです。
「遊び」を残したまま、次へ行く
「そうかもしれないけれど、そうではないかもしれない」という部分をポジティブトーンで残しておくことって、大切かもしれないと思えるようになりました。
いまはベストなアプローチだと思っていても、また別のアプローチが明日見つかるかもしれない。
そして、自分に対しても、今日はこう感じるけれど、明日は違ってても全然いい。
結局、あらゆる可能性のなかで浮遊しているだけの私たちだとしたら、「これだ」と決めつけなくていいというか、必ずしもどこかに着地しようとする必要なんてなくて、浮遊したままの状態を許すほうが、視野が広がって新たな発見も多くて楽しいのかもしれないです。
という感じで、今日から始まった光の半年。
無限の可能性に心を開きつつ、ご縁のある方々との交流を楽しみながら、引き続き浮遊状態を楽しんでいきたいと思います♪
いつもありがとうございます♡