内と外の両方に、意識を向ける
宇宙の元旦と称される春分の日の3月21日。
ケルトの暦上、光の半年が始まる5月1日。
それらを経て、内から外へと向かうエナジーが促される流れ。
・・・のはずなのですが、今年は何だか混在しているような感じがします。
外へ、だけではなく、内に向かう、つまり、自分と向き合う。
そして、それから外へ。
不要なエナジーを放出したり、自分を表現したり、自分の能力を発揮したり。
自分の内側へ向かうエナジーと外側へと向かうエナジー、もともと両方セットではあるのですが、星の影響なのか、今年はセット感が強いというか、「内に向かう」を無視しては「外へ向かう」も破綻するような感じがあります。
内に向き合わざるして、実りなし
その「内」にあるものとは、真実。
核心、本質を捉えることが大切なときなのかもしれません。
表面だけをなぞらっていても、解決しない。
「これが自分の望み」と思っていても、それが自分の深層心理と矛盾している。
ということは意外と多いです。
こうありたいと思っていながら、「自分はどうせこうだから」という諦め感や「自分はどこか可哀想」という自己憐憫など、変化に抗う言い訳となっているものは誰もが持っているものです。
でもこの「古いエナジーに留まりたい」という奥底の欲求の背後にある理由をまず拾ってあげなければ、動いていかない部分はどうしてもあるんですよね。
自分の本当の望みと向き合うことで始まる癒しがあるので、そのためのツールとして、願望リストを作ってみてください。
満月の拡大鏡で、いまの自分のエナジーを知る
折しも本日は満月。
自分が持つ、内側のエナジーが拡大されやすいときでもあります。
それにはもちろん、いまの自分が持っていて、まだ手放すことのできていないエナジーも含まれます。
私は昨夜、子どもの頃の不幸せな瞬間が、走馬灯のように次から次へとよみがえってきました。
相手の表情や自分の表情から、自分がそのとき何を感じ取って何を思い、どんなサバイバル戦略を立てて実行してきたのか、客観視してみました。
怒り、哀しみ、怖れといった感情だけではなく、
- この瞬間から、自分は自分のことを恥ずかしい存在だと思ってしまった
- こうやって、自分の味方はどこにもいないと感じながら生きてきた
- 全然大丈夫じゃないのに、ひとりで抱え込んで平気なフリをしてきた
というように、いまの自分の在り方における不調和を紐解くヒントを得ることもできるんですね。
もし、思い出したくない記憶がよみがえってきたら、それはもう手放せるから浮上してきているものなので、その場面がいまの自分の考え方や物の見方にどう影響しているか眺めてみてください。
ただ気づくことで、手放していけるものもあるから。
みんな、魂を癒しながら、生きていく
特に満月のときって、自分がMAXのスピードで回転する遠心分離機のように、不要なものを振り払おうとしているように感じます。
自分を本来の自分で満たす。
そのために不純物が取り払われていく。
満月の影響は、前後数日間あるので、「もうこんな感じは手放したいな」と思ったら、古くからの自分の思考癖や価値観によって得られた学びを終える、満了するという気持ちでいるといいでしょう。
子どものときって、本当の自分を覆い隠すことが最大の防御だと誰もが思いがちなのかもしれません。
でも、本当は、本来の自分をありのまま生きることが最大の防御。
突き詰めていくと、自分を防御する必要なんてない、ということにも気づいていけるのでしょう。
どんな賢者であっても、この世に生きている限り、本来の自分をありのまま生きるために、不要な信条・価値観からの解放や置き換えは続いていきます。
日々、精進w
終わりはないので、イヤになることもあるかと思いますが、「今回はこうきたのね」と、半分はユーモアをもって楽しんでいけたらいいですね。
気づいて癒していけたら、そのぶん軽やかになっていきます。
確実に♡