奇跡は、日常的に起こしている
この世界の常識では考えられないような出来事を、人は奇跡と呼びます。
奇跡は、滅多に起こらないものと捉えられることが多いでしょう。
誰もが、人生において一度は「あのときは奇跡だった」と思える体験をしているはず。
誰かとの出逢いだったり、助けられる体験だったり、完璧といえる流れに誘われ順調に事が運んだり。
それはとても特別なものとして記憶に刻まれ「そのときだけは目には見えない何かが働いたのだ」「神の御業だ」と人はいいます。
ヒーリングで、目には見えないエナジーの動きを追うようになったら、いわゆる奇跡の連続を目撃するようになりました。
エナジーを観るかどうかの違いだけで、奇跡は日常的に起きています。
そして、奇跡は「起きている」というより「起こしている」という表現がより適切かもしれません。
あなたの意識や意図が、世界を動かしている。
自分が、動かしている。
その意識を持ち、奇跡を特別なものとして扱うのではなく、理屈では通らない不思議なことはいつでも起こり得ると信じ続けていたら、そして、それをいつでも歓迎する心持ちでいたら、奇跡はもっと簡単に起こしていくことができます。
私はいつも、簡単に、楽に、奇跡を起こしています
いつも、奇跡へ導かれている
奇跡とは、すべてがかみ合う瞬間といえます。
方々に働きかけたエナジーがすべていい感じに統合されるとき、起こしたいと願った奇跡が訪れます。
この方々に働きかける、というのは、一見するとまったく関係のない事柄であることも。
でもそれこそが、奇跡を起こすためには欠かせないピースだったりするのです。
そのピースを余すところなく拾い上げるには、奇跡に直結するものかどうかに関わらず、毎瞬間自分に訪れるひらめき、インスピレーションに従っていくこと。
それは、自分が起こしたいと願っている奇跡から、一旦フォーカスを外すことでもあります。
奇跡は起こそう起こそうと思っていると、起きないものかもしれません。
なぜならそれは、自分のエゴによるコントロールになるからです。
エナジーの遊び場を、設ける
奇跡には、奇跡が起こる場、スペースが必要となります。
あらゆるエナジーが自由に戯れる、遊び場。
そこは、コントロールフリー。
遊び場なので、何をどうしようと、何を感じてどう表現しようと、いいのです。
肯定も否定も、こだわりも批判もなく、ただそこにあるすべてを許容する。
その遊び場を、自分の内側に設けておく。
呼吸するように、ただ自然に、当たり前のように、奇跡を起こしていく。
そのためには、それくらいの軽さがちょうどいいのだと、大局的に見て思うのです。
奇跡を起こしたいときほど、力を抜いてリラックスしていきましょう♪