人生の主導権を握りつつ、コントロールを手放す
自分が望む状態・状況にないと感じるとき、それを追求するあまり、ついコントロールしようとし過ぎてしまうことがあります。
自分であれもこれもやらないと気が済まなかったり、他者に何かをするように仕向けたり、物事のプロセスを操ろうとしたり。
望む状態・状況に至るまでに「しなければならないこと」がたくさんあると思い、結果を急いでしまうようなときは、それがないとダメなのだという執着心になっていることもあります。
自分の人生のオーナーシップを持ち、人生に起こるあらゆることに対して自分で責任を持ち、まるごと受け容れることが大切、というお話を『人生を、自ら主導していく』記事でお伝えしましたが、自分の人生の主導権を握るために、人生のあらゆる側面をコントロールしようとする必要はないのです。
望むもの以上のものを、手に入れる
望むものを、ある日突然ギフトとしてぽんと手渡されることなんてない、そう思う人がほとんどでしょう。
三次元の世界では、自分の欲求や願望を叶えるために「何かをしなければならない」と思いがちですが、それは「これをすることで、○○が手に入る」という方程式を、潜在意識のなかで抱いているから。
もちろん、自分がそう信じてさえいれば、その方程式どおりに動くことで、望むものに近いものを得られるでしょう。
でも本当は、頑張らなくたって、望むものは手に入れることができます。
もとい、頑張らないほうが、望むもの以上のものを自分にとって最高最善な形で手に入れることができます。
何かを、当たり前に手に入るものだと捉えているとき、人は軽々とそれを引き寄せて手に入れますよね。
欲しいものを、自分にとって当たり前に手に入るものだと捉えることができないときは、自分のなかで「それを手に入れるためには、○○しなければならない」と条件が付いています。
こういった条件を外していくことで、望めばすべてが無条件で与えられる次元とつながっていくことができます。
コントロールは、純粋な意図を濁らせる
簡単に手に入るはずのものが、不要な力をかけることによってそのプロセスを複雑化してしまったり、望んでいたものとは違う状態で届けられたりすることもあります。
それは、純粋な意図に、濁りが生じているからです。
無理に事を運ぼうとして動くときは、コントロール欲、つまり支配欲が強い状態。
そして、望むものが手に入らないと不完全だという思いから、不足感に苛まれ、望む結果がすぐに現れないことに焦り、疑心暗鬼になってあら探しをしたり、自分や他者を責めたり。
こういった波動がもたらす濁りは、純粋な意図の性質を変えてしまったり、かき消してしまうことさえ、あります。
心身の調和や健康を取り戻すことも同じ。
ヒーリングを行うと、一瞬でエナジー的な癒しが起こりますが、不調が癒されたと身体の実感として得るまでに、時間がかかることもあります。
たとえば、これは私の体験談ですが、歯茎に膿が溜まった原因を、潜在意識の領域で見つけて癒しました。でも、物理的にその膿が完全に排出されて細胞がベストな状態に戻るまでは数週間かかったりすることもあります。
このとき、うずくような感じがあっても、癒しは起こっていると信じることができれば、お水をたくさん摂って流れを良くし、休息をしっかり取るなどして、落ち着いて待てるわけです。
それが、癒しは起きていないのではないか、悪化しているのではないか、そういう疑念を持ち始めると、病院へ行って歯茎を切開してもらって膿を出してもらおうとか、抗生物質で細菌を消滅させようとか、あれこれやる必要性を自分で作りだしてしまい、逆に治癒を遅らせてしまうこともあります。
自分も宇宙も信頼して、ゆだね上手に
あらゆる瞬間、すべては完璧で、完全。
目に見えないところで必要なことは起こっていて、そこを含めて、完璧で、完全。
それを信じてゆだねることができる人は、何かをコントロールする必要なんてなくて、自分が望む状態をただ純粋に意図していればいいだけということがわかっています。
ゆだねることは、流されることとは違います。
これはやっておこうかなと思うことをやったら、あとは流れに任せる、流れに乗る選択を自分でするのです。
欲求は欲求として持っておきながら、そこから焦点をいったん外すことも時には必要です。エナジーを泳がせる、遊ばせるための空(スペース)を作っておくことで、想像以上のものが手に入るかもしれません。
自分も宇宙も信頼していき、流れを信頼してゆだねていきましょう。
- 本当に必要なアクションは、自ずと気づいて取ることができると信じる
- すべては自分にとって順調に進んでいるものとして、宇宙の計らいを信じる