傷ついた記憶は、細胞に残る
虫歯でもないのに、歯があちこち痛い。
そんなことが数日続いたので、自分で原因を見てみると・・・
自分をありのまま表現していくなかで、また傷つくかもしれないという恐れがありました。
自分の価値は不変で、何にも傷つけられることはないと、もう知っているはずなのに。
細胞が記憶しているんですね、痛みを。
傷ついた記憶は、神経細胞に残りやすいかもしれません。
エゴを、超えていく
自分を無条件にありのまま表現することは、自我(エゴ)の恐れを超えることでもあります。
ここでのエゴは、ロウワーセルフ(低次の自己)寄りです。
「こうしたら、危ない」
「こうしたら、失敗して傷つくかも」
自分を守るためのサバイバル術として、不安や恐れを巧みに掻き立て、自分が思い通りに表現・行動できないようにしてくることがあります。
もう傷つきたくない。自分にガッカリしたくない。
そんな思いから、何もしないでいるほうが傷つかないし安全、という結論に落ち着く方も多いかもしれません。
もう傷ついていないことを、全体に浸透させる
傷ついたことって、誰にでもありますよね。
あのときはただそうなったのだと、理性では分かっていても、またそうならないようにと、ふと思い立った行動を踏みとどまり、つい防御してしまうとき。
細胞に、その傷ついた記憶が残っているのかもしれません。
この場合は、光のエナジーを自分の全体に浸透させて全細胞にアナウンスするといいでしょう。
自分が傷ついた/傷つけられたという具体的な出来事が思い浮かぶ場合は、『思い出を、愛で塗り替える』の記事でご紹介した、思い出の感じかたを変えるための赦しのワークをやってみても良いでしょう。
歯痛や座骨神経痛など、神経痛として身体的症状がある場合は、ホメオパシーのハイペリカムもオススメです。
自分を、特別視しない
ワンネスの意識では、自分もほかのどの魂も同等である世界に調和を見出すことができます。
それに抵抗を覚えるときは、自分を特別視しているときかもしれません。
自分が他者より優れているという特別感だけではなくて、自分は他者より劣っているという特別感もあると知っておくことは、大事かなと思います。
劣等感を感じてしまうときはあるので、それを無理に否定しなくて大丈夫ですが、本質的なところで、自分は他者より優れているわけでも、劣っているわけでもないと覚えておいて、時折思い出すようにすると、中庸に戻れることはあるでしょう。
『自分とはこうである』と貼ったラベルに、どこか特別感があったりしませんか?
そこへのこだわりをなくしてみたとき、自分を自分で上げたり下げたりする必要性がないことに気づき、自己価値についてあらゆる次元の自分と和解できていくように感じます。