内側にある、自分の神殿
ガイダンスが欲しいとき、私はハートの奧にあるピラミッドに行きます。
「どんな人にも、内側に神殿がある」というお話を『「遊び」を残して広がる、無限の可能性』の記事でシェアしましたが、私にとっては、アストラルトラベルでよく行くこのピラミッドが、それなのかもしれません。
それは、エジプトにあるようなピラミッドですが、そのピラミッドは地球ではない、また別の次元にあるようです。
そのときどきに応じて案内される部屋も違えば、出逢う神々も違う。
この内なる「神殿」、そしてそこに登場する存在たちがどのように見えるかは、人それぞれではないかと思います。
私の場合、死後そこにまた還ることになるようなので、人それぞれ、多次元的に縁が深いところのような場所が見えるのかもしれません。
そこで話す神々とは、一体何なのか。
尋ねてみると「真理」だという答えが返ってきました。
私がピラミッドへ向かうときは、いまの自分に必要な、道しるべのようなものを求めているときなのでしょう。
そこでは、心の奥底で抱いている「これでいいのかな」「どうすればいいのかな」「これってどういうことなのかな」という自覚していないような疑問をもすくいあげ、答えを示してくれます。
行く先を照らしてくれるもの、それが真理。
「真理」がそのときどきに応じて姿・形を変え、教えを説いてくれるということのようです。
右脳を、信頼する
その神殿で先日、「お前は一体何をしようとしているのか」と、若干叱られるようなことがありました。
「自分が正しいと思えるヒーリング方法を見つけようとしている」と答えると、「そんなものは見つからないのだよ」と、次のように諭されたのです。
正しいかどうかを判断しているのは左脳の範疇
正しさの基準は地球という枠組みにおいて決められたもの
その枠を超えたエナジーヒーリングを地球の指標で判断して何になるのかヒーリングによって、エナジーを動かしている
動かしているという感覚があれば動いている
動かしている事実を何かで証明しようとしたり、その材料を見つけようとするのが左脳
そこに自分のエナジーを無駄に膨大に費やしている感覚がすべてである
感じたものが正しいと捉えなさい
論理にこだわると、「正しさ」にがんじがらめになる。
それが左脳寄りの状態。
右脳と左脳のバランスが取れていることがベストだとは思いますが、地球の社会で生きていると、私たちは無意識に左脳に寄りすぎてしまうのかもしれません。
であるとするなら、もっと右脳を意識的に使う。
右脳を信頼し、そこの感覚を広げて行く。
左脳は少し休ませておくぐらいでいるほうが、ちょうどいいのかもしれません。
感覚で捉えるということ
昨日の朝、ナサニエル・ホーソンの名前が、何度も心に浮かびました。
彼の残した言葉に素敵なものがあります。
Happiness is a butterfly, which when pursued, is always just beyond your grasp, but which, if you will sit down quietly, may alight upon you. – Nathaniel Hawthorne
幸福とは蝶のようなもの
追い求めているときは手の届かないところにあり
静かに座っているとき、あなたに舞い降りる
幸福もそうですが、直観も、インスピレーションも、捉えようとして力を入れると見えなくなります。
本当はすでにそこにあるのに、気づけない。
必死に探そうとすると、本当に意識を向けたかったはずの焦点からズレていくこともあります。
自分が感じたものを一般的な指標に照らして分析しすぎて、本質的に大切なものがこぼれ落ちてしまうこともあります。
感覚だけが、すべて。
そこを深追いしすぎないことで、エナジーを無駄に費やすことなく、もっと発展させていきたいほうへと使うよう意識していきたいものです。