未来の喪失感
どこか、満たされないとき。
未来の自分が抱く喪失感を、先取りしているのかもしれません。
自分が抱く望みや欲求を、「叶うわけない」という諦め感とともになかったことにすると、叶わない未来しか訪れません。
そうして、叶わなかった未来をいまの自分が感じ取り、まだ何もしていないのに喪失感を抱くことはあります。
いまの自分が、過去や未来の自分にエナジーを送っているように、未来の自分もいまの自分にエナジーを送っています。
時間という概念を超えて、すべての次元の自分が、相互に作用し続けているから。
こだまのように、いまの自分が放つエナジーが未来の自分に呼応し、そこからまたエナジーが戻ってくるのです。
欲求の抑圧は、自分への嘘
私たちは、年を重ねるごとに、自分の夢も、ささやかな望みや欲求も、少しずつ諦めていきがちになります。
「厳しい現実」を並べたて、願望を叶えることは「現実的に」無理だと思い込んでみたり。
現状維持で十分幸せだなんて、思ってもいないことを、自分に言い聞かせてみたり。
欲しいと認めてしまうと、手に入らなかったときに傷つくからと、欲しいものを素直に欲しいとさえ、言えなくなっていきます。
自分を守るために無意識に取っているあらゆる策は、自分にとってのコンフォートゾーン(安全圏)から出ないための言い訳に過ぎず、自分自身につく嘘を、重ねていくことになります。
自分の望みを、無意識のうちに蓋をしていないか、心の声を思考でかき消していないか、自分の内側を見つめてみましょう。
可能性という扉を、開けておく
自分が抱く諦め感は、自分が持っているあらゆる可能性の扉を閉ざします。
また、絶対に○○でなければならない、○○でなければ叶ったとは言えないと、限定的に捉えてしまうことでも、実現までのあらゆる可能性の扉を閉ざします。
望みは、あらゆる形で叶えられます。
自分が思い描いたものと異なる形でやってくることもあり、心を開いておかなければ、叶う手前で突っぱねたり、叶ったことに気づかなかったりすることだってあります。
自分の欲求を天に投げたあとは、それが自分にとって最高最善の形で叶えられるものと、天を信頼し、ゆだねましょう。
春はもう、そこまで来ています。
いま、自分が心から何を望み、何を欲しているか、自由に心に描いてみましょう。
望みが叶った状態を想像して、にんまりしながら、至福のなか眠りにつきましょう。
すべての望みを叶えられるだけの資質も能力も、自分は持ち合わせていると、信じて。
願いが叶った未来の自分の波動を感じ取るとき、満たされた感覚に包まれます。