中心にある、ということ
惑星地球のヒーリングを行うとき、ポジティブなエナジーというよりは、無条件の愛が浸透していくのを観届けます。
善悪でいう、善のエナジーを浸透させたとしても、反対の悪のエナジーが活発になるからかもしれません。
無条件の愛とは、空気のようで、ただそこにあるものをすべて包み込むようなエナジー。
どちらかの極に偏ることなく、何かを否定することも助長することもなく、ただ、中心に戻すような作用があるように感じます。
視点を、中庸に
アストラル・トラベルでピラミッドの奧へと入り、冥界の神のひとりに会ったとき、天秤を見せられたことがあります。
それが世界のバランスを表しているように見えた私は、尋ねてみました。
「人生は、いいことわるいこと、半々が起きるようになっているのでしょうか?」
すると、返ってきた答えは、
「それは自分の見方次第である」というものでした。
いいもわるいも、自分がそう判断しているに過ぎない。
そのことが私のなかで腑に落ちた瞬間、左右に揺れていた天秤が水平に止まりました。
判断することをやめたら、中央にいることができるということを実感したのです。
それでも、誰が見ても明らかに「わるい」状態というのはあるのでは?
たとえば、愛犬が100%健康ではないときは?
そう思った瞬間、答えを受け取りました。
病気だったり不調だったりすることで、本人が得ているものがあるはず、と。
甘えられる幸せ、気にかけてもらえる幸せを感じているとしたら、一概に「わるい」状態とは言えない、と。
続いて、こうも教えてくれました。
不調でなくてもそれらが得られるとしたら、不調である必要がなくなる。
不調和を通して他者とつながり愛を受け取ることができるという思い込みを、調和の中にありながら豊かさを受け取ることができる、そう置き換えればよい、と。
明らかに「不幸」に見えるような状態でも、本人以外の第三者が勝手に「可哀想だ」と決めつけてしまうのは、やはり違うんですね。
本人が見ている現実を、安易に決まり切った見方で解釈しないことの大切さを改めて知りました。
失っているようで、得ているものもある。
得ることに何かを失うというような条件がついているのなら、無条件化してしまえばいい。
本来、私たちは、何も失うことなく、欲しいものをすべて手に入れることができるということのようです。
水で取り戻す、バランス
自分のバランスを取り戻すのに、最も手っ取り早い方法はお水を摂ること。
流れを良くして不要なものを手放し、本来の自分の状態に戻るよう促してくれます。
オススメの飲み方は、一旦ガラス瓶にお水を入れて、そこからグラスに注いで飲むこと。
水道水から直接、あるいはペットボトルなどプラスチックから、というのとは全然違います。
ガラスがお水を浄化してくれるのかもしれません。
フランスのカフェやレストランでも、無料のお水を頼むとワインの空き瓶に入れてきてくれるんですが、美味しく感じるのも、ガラス瓶の効果かもしれません。
ちなみに最近、こちらの白ワインが美味しくて。
柑橘系のすっきりとした酸がありながら、はちみつのような華やかな香りがします。
この空き瓶を水差しに再利用しています。
コルクではなくガラスのキャップがついているので、オススメです♪