自らかけた「不可能」の呪いを、解く
私のアストラルトラベルですが、意図せずエジプトに意識が誘われる時期は一旦収まり、これからは自分が行きたいときにいつでも行くことができるようです。
何が起きるかは行ってからのお楽しみ、なのですが、最近は、ピラミッドの中の隠された部屋に案内され、そこにいるマスターらしき人物から、エナジーを動かすレッスンを受けるということが続いています。
前回は、瞬間移動とテレパシー。
そこから沼地のようなところへ自分を瞬間移動させ、そこにいるベンヌ鳥のような鳥にテレパシーを送り、伝わった合図をもらえたらOKというもの。
瞬間移動は難なくできたのですが、テレパシーがうまくできませんでした。
色々と頭で考えすぎてしまい、今日はできないや・・・と部屋に戻ったところ、
「自分にはできない」というアタマが邪魔をしている、と指摘されました。
しかも、そのベンヌ鳥は沼地でニヤッと笑っている・・・。
伝わっているやないかーい。
テレパシーは届いている、でも、その届いたというサインを私が受け取れなかったのです。
鳥がわかりやすくこちらを向いてくれなかったから、「どうせ、できなかったのだ」という早すぎる諦めが、感覚を鈍らせました。
もしちゃんとテレパシーが届いたら「鳥はこちらを向いてくれるはずだ」という私の中の「上手くできるとはこういうこと」という思い込みも邪魔をしたようです。
できているのに、そこから目を背け、「失敗した」と早々に結論付けてしまったんですね。
すべてが可能である感覚を、思い出す
瞬間移動やテレパシーができるかどうかはさておき、「自分にはできない」があらゆることを阻んでいることに気づかされました。
その原因には、「できている」状態のイメージを抱きすぎ、先走りすぎ、ということもあるのだと思います。
イメージが先行する理由は、すでにできている人と比較しているからということもあるでしょうし、何かが「できる」ということは「こういうこと」という定義付けを先にしてしまっているからということもあるでしょう。
先入観が強すぎると、いまここに集中して、何かを自分にとってベストな形で習得することはできにくくなるのかもしれません。
「できている」はあらゆる形や感覚でやってくるということを自らに許可していくと、「できている」実感も得やすいでしょうし、そこから派生する別の何かができることに気づくこともできていきやすいように思います。
何かが「上手くできているということはこういうこと」にとらわれないことで、習得上手になれるかもしれません。
四次元以上の世界では、自分には不可能なことなどなく、すべてが可能だという感覚を呼び醒ますよう促されます。
呼び醒ます、ということは、すでに知っている感覚が内側にあるということ。
すべて可能だと知っていた自分を取り戻しなさい、ということです。
Impossible(インポッシブル、不可能)をI'mpossible(アイムポッシブル、私には可能)に変換せよということでもあります。
アポストロフィーは、自分の意識をそこに加えることを意味します。
不可能にするのも、可能にするのも、すべて自分次第。
三次元において、私たちはどうも不可能と決めつけてしまっていることが多いのかもしれません。
折しも、明日15日は新月です。
自分には無理ムリむり。
そう思い込んで閉ざしてしまっている扉の鍵を、開けてみましょう。
それが、才能や人間関係、創造など、あらゆる豊かさを流れさせるきっかけとなるかもしれません♪