祖母、再来
犬がリビングを嫌がり、土間に降りている…
こういうときは、例外なく、何かが部屋にいるとき。
案の定、20年以上前に亡くなった祖母がいました。
父方の祖母だけは、生前の姿のまま、よく現れます。
こういう場合、私たちが生きるこの世の何かに、執着があるから。
愛着といってもいいかもしれませんがw
自分を何か/誰かに探し続ける、私たち
祖母の場合は、生前、他者との関係に自分を見出しながら生きてきたようで、それを求めて戻ってきています。
つまり、「自分というもの」を探している。
彼女にとってそれは、他者との関係における自分の役割なのです。
それを演じることでずっと生きてきた。
逆に言うと、それ以外の生き方を知らないんですね。時代もあったと思います。
だから、この世を離れて人との関係性や自分の役割というものがない世界に行くと、自分が自分でないようで心許ないと感じるようです。
自分のアイデンティティを、自分の存在意義を、自分以外の何かに求めてしまう。
これ、結構重たいエナジーのようで・・・だから犬が嫌がるんですねw
自分を赦して、許す
誰かとの関係性に自分を探すということは、人間ならばあることですが、その関係性における自分の「役割」というものをきちんと果たせなかったことによる「罪」を背負ってしまうと、その役割をまっとうするまでは自分を赦せない。ということもあるようです。
でも、それって自分が作り上げた「役割」なので、永久にまっとうすることなんてできないのです。
それよりも、役割を演じることのない、素の自分を生きることが解決法となるわけです。
何者でもない自分を生きることを、自分に許す。
そのためには、自分が背負っているすべての「罪」から自分を解放する。
自分を赦して、自分を生きることを許す。
それが必要なんですね。
あんこは、赦しのエナジー
祖母に何か望みがあるか尋ねたところ、あんこが欲しいとのことでした。
何度かリクエストされることが今までもあったのですが、「あんこ」はどんな意味があるのだろう…
尋ねたところ、それは、赦し、でした。
どんな自分であっても、すべて赦されている。
天国のエナジーが、まさにこれだと思うのです。
慈愛。
私がどれほど祖母に、自分が自分であることを許しても大丈夫、すべて赦されているんだよと伝えても、本人の意志がそうしないという選択をしている以上、どうにもならないところはあります。
でも、赦されたい、許したいというのは彼女の本心としてはあるから、慈愛のエナジーを、あんことヒーリングで少しずつ浸透させていくというアプローチがいいということのようです。
ご先祖様へお供えするぼた餅やおはぎには、もう自分を責めなくて大丈夫だから、すべてのしがらみや「罪」から自分を解放して、心安らかに天国へ行ってくださいという意味も、込められているのかもしれません。
甘くしたあんこが、赦しのエナジーをまとっている…
何となくわかる気もするので不思議なのですが、今度自分が何か罪悪感を抱いたとき、食べてみようと思いますw
自分にも慈愛を発揮するって、なかなかできませんが、大事なので☆
素の自分でいることの安心感と信頼感を育む
自分が何かの役割を演じているとき、それを自分のアイデンティティとしないでおく、役割を演じている自分を客観的に見ておくことは、大切かなと思います。
何の役割も担わない自分、定義付けされない自分をよしとする。何者でもない自分であっても大丈夫なのだという安心感、自分に対する絶対的な信頼感を育んでいけば、自分を自分の外側に探し続けることがなくなっていきます。
他者との関係性が、自己定義の必須条件となってしまっては、いつか自分を見失うから。
まずは自分の内側に自分を見つける、そのうえで他者との関係を築いていけると、共依存に陥ることなく、ヘルシーな関係を築いていけるのかもしれません。