ソニアのききみみ

感覚で捉える光を綴ります

真の喜びを、見出していく

Finding Your True Joy

世界線シフトを、完了させる条件

ここ1~2ヶ月ほど、自分の内側の奥深くにあるものに光を当て、「自分の本心を探る&それに従うことを阻む思い込みを手放し置き換える」ことにフォーカスしていました。

私にとって「物事に対処する生き方」から「欲しいものを創造する生き方」へと大きく世界線をシフトするというタイミングでもありました。

だからこそ、シフトするにあたっては、これまでずっと抱いてきた信条・価値観・感覚・感情をまたいくつも手放す必要があったのです。

古い世界線から、新しい世界線へ。

さぁ、シフトしよう!と決心する。

それだけでも新しい世界線の入り口に立つことができるのですが、そこから中へと入りきるためには、古い世界線において自分がしがみついていたものを断ち切らなければなりません。

それと同時に、新しい世界線における楽しみや喜びの見出し方を知っているという感覚も必要となります。

シフトした先で心地よさが感じられなければ、また古い世界線へ自ら逆戻りしてしまうこともあるからです。

シフトに伴う価値観アップデート&感覚ダウンロードの作業が思いのほか多く、1~2ヶ月経ってやっと今、ひととおりやりきったなぁという感覚が出てきました。

最終的な鍵を握るのは、自分の本当の望み

本当はもう役に立っていないのに自分がしがみついている価値観には、自分があえて見ないようにしている欲求がその奧に隠れていることが多いです。

それを自覚してしまったら、何かをせずに済むための言い訳がなくなるなど、都合が悪くなることもあるからです。

たとえば私は、ヒーリングの仕事も、本当にこれが自分のやりたいことなのか、特に今年に入ってから考えさせられる出来事が続きました。

この仕事は、自分の心からの望みと一致している?

そう考えたとき、何だか違うような気もして、やめようかなとも思いました。

そこを見直すきっかけが、過去世の感覚・感情・記憶を思い出したり、また別の過去世から引き継いでいる価値観に気づいたことで訪れました。

ある日、エジプトのアブ・シンベル神殿の画像がふと目にとまり、涙が出てきました。

それは決して嫌なものではなくて、懐かしいとか、還りたいという気持ちに近く、神殿の側面に彫られているヒエログリフを見ても「知っている」という感覚が強くある。

古代エジプトの神々と一緒に創造するという仕事をしていた、その充実感、満足感、幸福感を思い出したのです。

いまの自分が「ちっぽけ」で、いまの自分の人生が「つまらない」と感じていた理由が、そこにあったことに気づきました。

すべてはエナジー。

エナジーを動かして、癒し、引き寄せ、創造する。

それが当たり前の世界だったときと比べると、今この三次元の世界、地球ではどうせ理解されないだろうと思い込んでいることもあって、つまらなさ、諦め感、いじけのような感情を抱いていました。

やったところで、先が見えている感覚。

でも、そうやって今を、未来を限定的に見ているのは自分でしかない。

過去に抱いた充実感、満足感、幸福感を、今現在ここでも同じように、あるいはもっと強く抱くこともできるはず。

自分がそういうふうに創造していけばいいのだと思い直しました。

逆に言えば、それがいまの自分の本当の望みであり、欲求なのだと気づいたのです。

万物、そのどれもが躍動する魂

私はいつからか、自分は石ころのようだと感じながら生きようとしてきたところがあります。

雨風に打たれても、踏まれても、そこにあり続ける。

でも、石ころにだって、意識はある。

陽の光をたくさん浴びたいとか、鳥に拾われて別の場所を冒険したいとか願ったっていい。

それなのに、自分にはコントロールできない運命があると思っている世界で、そのときどきで遭遇する出来事や状況に、ひたすら「対処する」だけの人生。

「自分は、生かされている」

これって謙虚なようでいて、ただの受け身でしかないのかもしれません。

生きとし生けるものすべて。

誰もがそのひとつでもありながら、そのどれもが静止しているわけではなくて、躍動する魂。

自分が、生きることを選択している。

では、どう生きるか。

どう、生きたいのか。

生かされていると思うことで、自分がどう生きたいのかを見つめることから逃げるための言い訳にしていただけなのかもしれません。

自分にとって真の喜びを、見つける

やがてもうひとつ、列をなす多くの人にヒーリングを施す女性だった過去世を思い出しました。

家族をなくして、ひとりになったその身をすべての人に捧げようと、人に癒しや天からのメッセージを届けるようなことを四六時中していたわけなのですが、このときその女性は自身を「導管」として見ているんですね。

天と人をつなぐ、パイプ。そう、道具でしかないのです。

だから、そこに自分が何をしたいとか、そういう欲求を持つことをそもそも自分に許していない。

・・・ということを、私は今の自分にも強いていたようなところがあります。

「自分」というものを持ってはいけない、自分の望みは抱いてはいけない。

自分を犠牲にしてでも、人を救わなければならない。

人を癒すためには、自分が持っている何かと引き換えなければならない。

自分がそう信じていると、自己犠牲と他者の癒しがセットになって現実に起こるんですね。

そして、この状態でどんなに人を癒しても、どんなに人から感謝されても、自分の中は空っぽなのです。

何も感じないようにしているから。

自分を犠牲にして人を癒しても、そこに真の喜びは得られない。

ヒーリングの仕事をやめようかなと思っていたことも、ここに原因がありました。

ヒーリングが嫌なのではなくて、自分を犠牲にして生きることが嫌だったのです。

自分のため、そして他者のため、両方あっていい。

では、自分も楽しみ、喜びを見出すような方法でヒーリングをすればいいのでは?と気づきました。

これまでは人の痛みや感情、憑きものなど、いったん自分に引き受けてから癒すということをやっていたところがあり、1回のヒーリングセッションで頬がこけてしまうこともありました。

それをやめて、自分が引き受けずに相手を癒す方法を習得したところ、自分自身も楽になってきたのと同時に、ヒーリングでできることが増えてきて、面白くなってきました。

何でもそうだと思うのですが、自分が面白いと思えることは、どんどん発展させていくことができるんですよね。

地球に生きているすべての人は、生きる喜びを感じるためにここにいるはず。

そういう風にシフトしていきたいと思う方は、自分にとっての真の喜びがどこにあるのか、何であれもっと楽に楽しくできる方法はないか、常にアンテナを張っておくと良さそうです。

というわけで、久々のブログ更新となりましたが、最後までお読みくださりありがとうございました!

何かしらヒントになれば嬉しいです♪

また、ここ最近だけでもかなりスキルアップ&パワーアップしていますので、いつでもヒーリングセッションでお待ちしております♡