世界は自分の敵か味方かー心の開き度合いと肩甲骨
年を重ねるにつれて背中が硬くなっていく傾向がある人は、子どもの頃のように、世界に対して無邪気に心を開くことができにくくなるからかもしれません。
先月、腕と肩が痛かったとき、肩甲骨の間も痛みが出ることがあったので、その原因を見てみたところ、自分が望むことをしようとしたときに「人にサポートしてもらえない」という思い込みがありました。
自分はまったくサポートを受け取っていない、というのとはまた違っていて、目に見えない存在や、鉱物、植物、動物にはサポートしてもらっていると思えている。
でも、人には・・・。
「人って、怖い」
そういう感覚って、誰もが一度は持ったことがあると思います。
たとえばこんな経験をして。
- 天真爛漫に振る舞っていたら、突然叱られた
- 味方だと思っていた人に、裏切られた
- 人の笑顔の裏に、悪意が隠されていた
- 自分が好きなことを、批判された
私は一時期、思念が人の周りや宙に見えてしまうことがあって、外へ出かけるのが怖いと感じる時期がありました。(家にとどまったところで、結局避けられないんですけどねw)
エンパス体質だと、無意識に人の思考や感情を拾ってはその影響を受けやすいということもあって、「外」は往々にして自分にとって危険なところ、という認識をしている人も多いでしょう。
悪意と同じくらい、善意もこの世にはあるんですが、当たり前に感じられる善意より、違和感でしかない悪意のほうが気になってしまうんですね。
そうして苦々しい経験を繰り返して来た人が抱きやすい思考パターンに、たとえばこんなものがあるかもしれません。
- 人には理解されないから、むやみに心の内を明かさない
- 他者は、自分にとって嫌なものをもたらす(だから常に防御しておかなければならない)
- ふとした瞬間に足元をすくわれるから、人は信頼できない
- 自由にのびのび生きようとすると、邪魔が入ったり制裁を加えられる
- 誰も助けてくれないから、自分でどうにかしなくてはならない
意志の力で創り出す、現実
肩甲骨の間には、物理的な世界との関わりかたにおける自分の意志と行動を司るチャクラがあるという説があり、私もそうだろうなと感じます。
「光の手」の著者でありヒーラーであるバーバラ・アン・ブレナン氏によると、
このチャクラが時計回りの人は、
「他者や世界が物事の達成を支えてくれる」
反時計回りの人は、
「他者や世界が自分の意志に対立している」
と、捉えているそうです。
その見方を支える経験を人はしていくので、
前者であれば「みんなが協力や応援をしてくれる」
後者であれば「助けを得られるどころか、妨げられている」
と思うような現実が展開されていくことが多いかもしれません。
「周りから助けを得られない」ならば、人をあてにはできないので、すべて自分でどうにかしなくてはならない体験を重ねていくことなります。
在りたい世界を創造する鍵は、愛と意志力の合わせ技
時計回り、反時計回り、いずれの場合も、過剰に回転すればそれは過度の意志力の行使となり、他者をコントロール、支配、操作することで、自分の世界の捉えかたを支える現実を実現させ、世界を自分にとって安全なものにしようとする傾向が見られます。
意志力を適度な時計回りにしておくには、愛と意志力という表と裏を合わせておくのがよいのかもしれません。
肩甲骨の間のチャクラは、ちょうど無条件の愛を司るハートチャクラの裏側に位置しています。
無条件の愛を発揮できない分、自らの意志力でそれを補っている人もいるでしょう。
裏側にある肩甲骨の間のチャクラが過剰に時計回りに回転し、表側にある心臓のチャクラが反時計回りの場合、他者がどう感じているかお構いなしに、自分の意志を通して協力を得るというやりかたをすることも。
それでは愛は循環していかず、思うような結果が得られないことにもなるので、ウィンウィンの世界を築きたい方は、愛を置き去りにせずにすることが大切かもしれません。
無条件の愛とは、他者をも自由にすること
人が在りたいと望む世界は人それぞれだと思いますが、私は平和に重きを置き、自分が「平和の調停者でなければならない」という誓いを、どこかの時点で立ててきていました。
それによって、たとえば、子どもの頃に両親が喧嘩をしていたら仲裁しなければとあれこれ促してみたり、職場で誰かが叱責されていたらその責任や罪の意識を自分が感じて一緒に謝ったり。
善人というわけではなくて、必要以上に不調和の責任を負ってしまうから、不調和そのものがそこにあることが許容できなかったんですね。
だから、直そうとしてしまう。
自分のなかにある不調和、他者のなかにある不調和、世界のなかにある不調和を、どうこうしようとしすぎるのも、自分の価値観の押しつけであり、コントロール。
そう気づいて、「平和の調停者でなければならない」という誓いを破棄しました。
力が抜けた、もっと軽やかな世界を望むなら、どうこうしようとしすぎることをやめていく。
- 不調和も含めて完璧かつ完全な世界であり、すべてをありのまま受け容れる
- 自分も他者も世界も、自由にさせる
それが無条件の愛だったりします。
たとえば、誰かの不調の原因が何であるか私が直観で察知したとしても、アドバイスを求められない限りは、言わないでいる、介入しないでおくことも愛なのです。
人は人で、その人にとってよきタイミングで、気づくときがくるから。
人から大切に扱ってもらえる、優しい世界
無条件の愛が循環する世界ってよくわからない・・・という人は、ヒーリングセッションで「無条件の愛を受け取るということが、どういう感じがするかわかっています」と、忘れてしまっている感覚を呼び醒ましてもらうといいでしょう。
または、ご自身で意志力を使って「愛のある世界」の成功体験を積み重ねるのもいいかもしれません。
これを外出する前に、自分の細胞に浸透したと感じるまで、何度か心のなかで唱えます。
すると、その体験は確実に増えていきます。
たとえば、私は病院で、誤った診断や処置をされたり、雑に扱われたり、あまりいい経験はしてこなかったこともあって、お医者さんにかかるとき、どこか身構えたり、疑ってかかってしまうところがありました。
今は病院に行くことはほとんどないのですが、歯医者さんにはクリーニングで定期的に通っています。
当初は雑に扱われるかも、痛いかもと思うと気が進まなかったのですが、処置台に上がって目を閉じ「私は、いつも人から大切に扱ってもらえる」という感覚に自分を馴染ませると、本当にそうなっていきました。
誰も自分を傷つけようとか、雑に扱おうとしていない、むしろ助けようとしてくれると信じていくことで、自分の閉じていた心が開き、他者との間で愛が循環していくわけです。
世界との関わり方と、姿勢
自分が望む世界を創造する鍵は、肩甲骨の間にある意志力の働かせ方。
その意志力を不足でも過剰でもなく、ちょうどいい感じにしておくためには、次のような愛のエナジーに意識的に焦点を合わせてみるといいでしょう。
- 世界は悪意ではなく愛に満ちていて、私はいつも人からサポートされています
- 自分・他者・世界に対してコントロールしようとせずに、自分にとって最高かつ最善の世界を創造していくことができます
- 私には、無条件の愛を受け取る価値があります
ちなみに、自分の世界との関わり方と姿勢って関係があるように思います。
世界を怖れていたり遠ざけていたりすると、自分を守るように身をかがめて、猫背になり腰が引ける。
かといって、肩肘張って生きるという表現があるように、気負っていても変に力が入り、腕の不具合や肩のコリや緊張も起きやすいでしょう。
世界に対していい感じに心を開いていくと、胸が開いて姿勢が良くなり、さらに世界との関わり方を力が抜けたものに見直していくと、腕・肩・肩甲骨の間の不調はなくなっていく・・・ということもあるかもしれません♪