純粋なまなざしを、思い出す
庭のキンモクセイの樹に作られた鳩の巣から、ヒナが二羽、無事に巣立ちました。
暑さが厳しい日も、大雨の日も、親鳥が一心に子育てしている様子は本当に尊くて、それを家の中からそっと眺めることが楽しみでもありました。
巣立った後も「どうしているかな」と頭をよぎるときは、揃って姿を見せに来てくれたりするので、見守っていたことが伝わっているのかもしれません。
このヒナたちが、初めて巣から出た日のこと。
目にするものすべてを興味津々に眺め、肌で感じる風や陽の光を堪能していました。
それがまるで、生きる喜びを全身で感じ、心ゆくまで味わうということはこういうことなのだよと、私に示してくれているように見えたのです。
生まれてすぐは私もこうして、世界に心を開いていたのだろうか。
世界に心を開く、ということ
若い頃はもっと、自分や世界の可能性を純粋に信じていました。
あの頃のように、
自分に、他者に、世界に、
もっと心を開いて生きていきたい
あらゆる可能性を信じ、
まっさらな心で見たい
それにはどうしたらいいのだろう。
そう思いながら自分の心の奥に入ると、トート神が現れました。
そして言葉の説明よりも先に、頭上から金色の砂が降ってきました。
面白い体験だったので、よかったらぜひ、セルフ―ヒーリングとして試されてみてください。
世界に心を開くヒーリング
自分の体が、浮遊している砂粒でできているように感じるかもしれません
そこには、世界に対して心を閉ざす原因となっている怖れや価値観が保存されています
眺めているとそれが何か分かることもありますが、今回はそこに何かがあると分かるだけでOKです
砂が身体を満たし終えたら、「世界に心を開く」ことを意図し、そのとき心に浮かんだアファメーションを唱えます
たとえば・・・
『私は心を開いて生きることができます
その方法も、それがどういう感じがするかも知っています
心を開くことは私にとって安心安全です
心を開けば開くほど、私は温かく歓迎され、無条件の愛や豊かさが循環していきます
私はすでにそれを実感しています』
引っかかりや渦があったように感じた場所が、すっとほどけていくように見えるかもしれません
このヒーリングを終えると、私の中から自分と世界とを分ける考えそのものが、どこかに行ってしまいました。
分けて考えている時点で、そこに隔たりが存在しているということ。
世界に対して心が開いている状態とは、自分と周りとの境目がなく、一体感がある状態。
言い換えれば、世界に対して、他者に対して心が開いている状態とは、自分が自分自身に対して心が開いていることをいうようです。
心が、世界そのもの
トート神が教えてくれたのは、次のようなことです。
「自分」は世界と一体であり、
ひいては、心が世界そのものである世界に心を開くにはまず、自分の心に水をやること
たとえば自分の中に怖れがあると、世界を怖れを持った目で見る
怖れがあるなら、何を怖れているのか、きちんと見てあげる
見ようとしなければ、それは永遠に得体の知れないものとなり、怖れが増すだけ世界に対して心を閉ざしているように感じるなら、もっと自分の心を見てあげたほうがよい
自分の心を見ようとしない限り、世界の見え方は変わらない。
だからまず、自分が自分自身に対して閉ざしている扉を、開く。
その先に何があるか、きちんと見る。
そして、変えたいところを変える。
世界の捉え方、他者との接し方は、自分が自分をどう捉えているか、自分が自分とどう接しているかがそのまま反映されている。
何よりもまず、自分をしっかりと見ることができているか、そこが大切。
自分から目を背ける必要なんてないほど自分に居心地の良さを感じていれば、自分の住む世界も居心地の良いものになり、自然と心が開いていくのかもしれないですね。
今回ご紹介したセルフ―ヒーリングをお試しくださった方で、何か感じるところがありましたら、ぜひコメントでシェアしてくださると嬉しいです♪
いつもありがとうございます♡