サイキックアタック/フックで濁る、自分らしさ
自分のエナジーを本来の自分らしく保つことって本当に大切で。
- いつも突然何らかの不調に悩まされる
- らしくない感情が湧きあがる
- 癒しが遅々として進まない
- 変化が起こらず停滞している
- 終わったはずの出来事について延々と悩まされる
たとえばそんなときは、サイキックアタック/フックの真っ只中ということも多いです。
サイキックアタック/フックを受けているときは、他者のエナジーがその人の内側に入り込み、その相手に対して、何らかのエナジーを譲り渡しています。
送っているときは、逆に他者に対して何らかのエナジーを奪いに行っています。
その「何らかのエナジー」とは多岐に渡りますが、生命力や自由意思、自尊心、同情心、能力だったりします。
生き霊など、誰かの念が飛んできて一方的に攻撃されるという見方もかつてはあったかと思いますが、自分の中に磁石のように引きつける何かがなければそれも来ないので、どちらかが一方的にというよりは、相互に作用した結果起きているという理解に今の私は至っています。
依存し合う関係を、見直す
他者の念を受けやすい、あるいは送りやすいとき、自分と他者との距離感に改善するためのヒントを見つけられるかもしれません。
サイキックアタック/フックは、身近な他者との間で起こることが多いです。
人生において、家族間で何らかのサイキックアタック/フックを送る・受け取るということを誰もが経験していると言っても過言ではありません。
意識せずとも「相手との関係性がなければ自分が成り立たない」という状態になっていることもあります。
特定の相手に限らず、その人と築いている「関係性」。
たとえば支配する親や上司がいて、そこから離れたとしても「従わなければならない」という思考癖が自分の中にあれば、同じ関係性は他の誰かと再現され続けます。
そして、一見ポジティブに思えるような思い入れも、仇となることがあります。
たとえば、相手を「守ってあげたい」「守らなければならない」という気持ちが強すぎるとき。
それが何を引き起こすかというと、
「自分は守られなければならない」
「自分は保護・管理される必要のある弱い存在である」というセルフイメージを相手に植え付けてしまいます。
そして、誰かから「守られる」ために、自ら不調和や病気を引き起こしてしまうことも。
自分自身、あるいは、子ども、親、飼っている動物の心や身体の健康状態が芳しくないということが続いているときなど、自分が相手を大切に思う気持ちが、過干渉や過保護になっていないか見直してみることも必要かもしれません。
それって、本当に愛?
人は、自己肯定感を高めるため、自らの生きがいや存在価値を満たすため、誰かからの承認を求めたり、大切な相手が自分から離れていかないように、知らず知らずのうちに操作したり、あるいは操作されることを許容したりしています。
それが過剰になると自分や他者をがんじがらめにしてエナジーの滞りを生み、健康を損なうということは、本当によくあります。
相手を大切に思うあまり、保護しようとしすぎることもコントロールであり支配。
喘息をもつ子どもは、しばしば過保護の両親に育てられ、両親のかたよった愛情によって「窒息」している
これを実際に先日、5歳の子どものヒーリングで目の当たりにしました。
「ああしなさい」「こうしなさい」と親から言われ続け、「もっと自由にやりたい」と望んでいる子どもの内側に、それでも親の愛に報いたいという葛藤が生まれていました。
過剰な愛は、毒になる。
そしてその愛は、無条件に与えられたものではない。
無条件の愛とは、真実の愛とは、自由を与えること。
愛とは自由を増やすこと
自分が自由になるために努力するのが、自分への愛
相手が自由になることを推進して喜ぶのが、他人への愛
そうした意味での愛を実現できるのは本当の自分ルドルフ・シュタイナー
相手にも自分にも、ひとつずつ制限を外していくことで、自分のエナジーがよりクリアになっていき、調和がもたらされる。
それを日々、実感しています☆