ソニアのききみみ

感覚で捉える光を綴ります

真実を生きる、覚悟

Living True to Yourself

問われる「本当の自分を生きる」覚悟

昨日の水瓶座新月のエナジーが和らいできた本日、いかがお過ごしでしょうか?

冥王星が鎮座している水瓶座での新月は、通常よりパワフルなんだそうです。

新月は何かを刷新することを促すようなエナジー。

それが、冥王星が持つ破壊と再生のエナジーと相まって、何かガツンと来るものがあったと感じた方も多いかもしれません。

それは、次の段階へと自分をアップデートするために、クリアしなくてはならない課題。

たとえば、本当の自分を舞台上で表現すると決めたなら、何か/誰かのせいにしたり、言い訳したり、誤魔化しは通用しない。

本当の自分ではないものを削ぎ落とす。

自分にとって決別すべき何かを手放す。

決別すると決めたなら、もう後戻りはしない。

そんな覚悟が問われるような新月のエナジーだったように思います。

「いいひと」をやめる、決心

私の場合は、自分ではない何かを生きようとするのをやめる。

そう決意表明することを促されたように感じました。

もう大概、手放してきたと思っていたのですが、「いいひと」であろうとするのをやめてはいなかったようです。

実際に「いいひと」だったかどうかはわかりませんが、自分が「いいひと」として振る舞えていないように感じるとき、罪悪感や嫌悪感がついて回るのです。

「いいひと」であろうとすることと、自己否定感はセットなんですね。

最近「いいひと」を演じることに限界がきたと思うような出来事がいくつかあり、でもそのおかげで、そもそも自分はどうありたいのか、その「いいひと」の定義は何なのか考えさせられたのです。

前々回の記事でもシェアしましたが、優しさとは何かを考えるきっかけがあったというのも、「いいひと」をやめていく流れの一環だったのだと思います。

kikimimisonia.com

もちろん、すべての人が「いいひと」をやめるべきと言っているのではありません。

私の場合は、ヒーラーであろうとする自分と「いいひと」であろうとする自分が相容れないというのがあって、そこで生まれる矛盾に苦しんでいました。

ヒーラーとは、真実を見る人。

真実を語る人でなければなりません。

真実を伝えるうえで「好かれたい」という自分のエゴは邪魔になるのです。

そして、私のようなエンパス体質の人は、相手が何を望んでいるか先に察知して、それにさっと応えてしまうということがよくあるかと思います。

「相手の意向」で自分が動くことに慣れすぎてしまうと、相手の作りだしたストーリーに巻き込まれやすくなります。

たとえば「私ってこんなに可哀想でしょ」という相手に、相手が望むものを与え続けることになってしまう。

相手の「自分は可哀想だ」という物語につきあっていては、その人はその「可哀想な自分」からいつまでも抜け出せない。

本当の意味で、その人を救えない。

同情や憐れみを欲している相手に、それらを「与える」ほうが簡単で、「与えない」という選択をするほうが面倒だったりします。

反発もくるでしょうし、冷たい人だと思われる。

自分ですら、自分に対してそう思ってしまう。

という悪循環に気がついたので、その現実を変えていくことにしました。

集合意識/無意識の価値観と、分かつ

「いいひと」が美徳というのは、集合意識/無意識の価値観、社会規範。

そもそも「いいひと」の定義は、社会的に作られたもので、私たちの潜在意識にすり込まれています。

日本文化における「いいひと」の定義とは、たとえば、異論を唱えず同調する、自分を犠牲にして他者を優先する、誰にでも好かれる、波風を立てない、調和を乱さない、そのようなものかもしれません。

でもたとえば、「人から好かれる」ことを優先していると、自分の感覚や個性が死にますよね。

ときに、自分にとっての真実をも、否定することになります。

「こういうときはこうすべきである」を手放して、自分が感じることに従って生きることを自分に許す。

「いいひと」であろうとすることをやめたからって、善良でなくなるわけではありません。

社会で決めつけられた、表面的な「いいひと」ではなく、自分の中の慈しみの心や愛を発揮していきさえすれば、もっと深い意味で他者のためになるのです。

世間一般の型のピースにはまることが、自分の役割ではない

そう気づいている人は、集合体とは別の価値観を持つことを、自分に許していくといいでしょう。

「いいひと」を演じなければ、人から否定されるし怖い、という人は、次のようなアファメーションや、ヒーリングセッションでの潜在意識の書き換えが有効になるでしょう。

「私は、自分のことを否定せずに生きるとは、どういうことか分かっています」

「私は、ありのままの自分を無条件に受け容れます」

「私は、自分が望まないことを「やらない」という選択を、罪悪感を持つことなく行うことができます」

私はこのワークが終わったとき、首の力がふっと抜けました。

喉のチャクラは、自分がどうあるべきかをコントロールしすぎるときにも不調になります。

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真実こそが、あなたを自由にする

ふと、中学生の頃に読んだ本に書かれていた言葉がよみがえりました。

The truth will set you free

真実こそが、あなたを自由にする

「こうでなければならない」から、自分を解放する。

真実って、必ずしも自分にとって「都合のいいこと」ではありません。

目を背け続けてきたこと、みんなが暗黙の了解で目をつぶってきたこと。

そこをわざわざ掘り出すことを嫌がる人もいます。

それはそれでいいと思うのです。

制限や制約の中で安心する人もいるから。

鳥かごの扉が開いているのに、出て行かないという選択をする人もいる。

でも、ひとたびそこから出ようと決心したら、今までの「当たり前」がボロボロともろく崩れ去っていくように見えるかもしれません。

それは、真実ではなかった、作られた世界。
誰でもない、自分で作りあげた世界。

それを正面から見据える勇気、覚悟はあるか。

本当に見ようとすれば、真実は透けて見えます。

もう二度と、目を背けない。
真実を、見ようとし続けていく。

私が真実を生きる覚悟を決めたことで、これからは「真実を生きたい」「真のアドバイスが欲しい」という気概のある人とのご縁が強まるようで、とても楽しみです。

真実の世界へ、ようこそ♪