「いま」以外のエナジーに、ひたらない
不幸とは、いまの自分の状態を否定することから始まる
と、確か『ニュー・アース』の著者エックハルト・トール氏も言っていたような。
いまの自分の状態を不幸に感じる人は、「いま、ここ」にないはずのエナジーの余韻に浸りすぎているように感じます。
過去の自分や未来の自分にこだわり続け、「いま、ここ」から不在になる。
どのエナジーを引っ張っていればよいとかわるいとかは、なく。
「いい」ときの自分も「わるい」ときの自分も、そのとき限定のこと。
いいもわるいもなく、ただ引きつれて歩み続けるのをやめてみるといい。
なんなら、一秒前のエナジーも過去のもの。
ちゃっちゃか切り替わって別人になったって、いい。
いまこの瞬間、すでに変わり続けている自分を捉えようとせずに、「あのときの自分」「このときの自分」と、過去の自分のエナジーに拘泥し続ける。
あるいは、「ああなったら」「こうなったら」と、「いつかの自分」を追い求め続け、「いまの自分にはない」という「足りていない自分」をつくり出してしまう。
いずれの状態でも、変わりたいと願いながら、変わらないという選択を自分でしているのと同じなのです。
起点はいつも、いまこの瞬間の自分。
そして、「自分はこうである」というエナジーを引っ張り続けないことが、軽やかに生きていくコツなのだと思います。
エナジーのスピードに、ついていく
瞬間瞬間の自分を捉え続けることって、常にリフレッシュボタンを自ら意識的に押していくようなものかもしれないですね。
これからますます、エナジーがたったかたったかスピーディに切り替わっていくでしょう。
それについていくには、いつまでも「私は、こうである」から抜けられないでいると、置いていかれます・・・。
今この瞬間のエナジーを常に捉えていこうとしたら、過去や未来のエナジーにとらわれている暇はなくなります。
切り替え上手になるには、過去や未来のエナジーを「いま」に引っ張っている瞬間の自分に気づくこと。
気づくだけでも、その自分といまの自分との間にスペースができて、切り離すことができます。
すべては変わりゆくから。
拘泥しないという選択を、都度していく。
ぐだぐだ言わない「潔さ」のようなものは、この先必要になってくると思います。
たとえば、お褒めの言葉ですら、その瞬間はありがたくいただき、次の瞬間には素の自分に戻る。
不快に思うことがあったら、「では自分はどうしたいのか」と自分の欲求を見つけるきっかけにし、自分のエナジーを望ましい方向へと向け直して、次に行けばいいのです。
次の瞬間、自分は何を選び取るか。
一瞬前の自分のエナジーを上手に切っていくこと、大切だなぁと改めて思います。
私たちは毎瞬間、自分を創り出していける。