優しさとは、何か
他者に対して、優しくあること。
それは、相手が「欲しい」というものを、ただ与えることではない。
傷や痛み、感情を肩代わりしてあげることではない。
優しい素振りをして、そのように振る舞ってみせることでもない。
「優しくあろう」として、本当に優先すべきことから逃げている、ということはあります。
先々月、遠くに住む4歳の姪が突然、エナジー的につながってきて、
「どうしてあのとき助けてくれなかったの?!」と、私に強く尋ねたことがありました。
そのときの姪は少し成長していたので、未来の姪だと理解しました。
テレパシーは次元を超えるので、過去も現在も未来も関係なく、自在に伝えることができるんですね。
彼女が言う「あのとき」とは、「いま」のことを言っている。
その頃、彼女が「あちこち出かけたくない」という望みを持っていることを、私は気づいていました。
兄夫婦は彼女を連れてよく旅行していて、でもそれが彼女の気質と合わずに、心身に負担になっていました。
生まれてすぐから、雄大な大陸のようなエナジーを放つようなコなのですが、そのような気質の人は特に、大地としっかりとつながっていることで安定します。
まずは自分の安心できる範囲内で色んなことを経験して、しっかりと地に足をつけることが必要なんですね。
ということもわかってはいたのですが、私がそれを兄夫婦に伝えるのは・・・と思ってやめていました。
人の子育てに、口出ししたくない。
と言いながら、きっと私は姪にとって何がベストかよりも、兄夫婦の私への反応を恐れたのだと思います。
伝えたほうがいいことを、それはきっと相手が気に入らない答えだから、という理由で言わないでおく。
それは、相手のためというより、自分の保身のため。
波風立てたくないから。嫌われたくないから。
本当に必要なことであれば、自分がどう思われようと構わないから、伝える。
それをどう受け止めるかは、相手にゆだねる。
まだ自分の言葉で自分の気持ちを伝えきれない4歳の姪が、「伝えてくれ」「助けてくれ」と求めてきている。
それよりも優先すべきことはない、ということに気づかされた私は、姪の要望を兄夫婦に伝えることにしました。
姪が旅先で体調を崩すということがよくあったようで、思いのほか理解は得られました。
「これでいい?」と目の前にいた姪に尋ねると、満足げにニコリとして頷きました。
他者の痛みを背負うことなく、優しさを発揮する
昔から、友人が「お腹が痛い」と言うとき、父が「歯が痛い」と言うとき、母が「肩が痛い」と言うとき、その痛みを自分が無意識に吸収し、同じ箇所が痛くなることは、よくありました。
エンパスあるある、ですね。
これはもちろん、相手の痛みに寄り添いたいという気持ちもあったかと思いますが、同情心から来ているところが大きかったように思います。
同情や憐れみを他者に抱くとき、その相手とエナジー的なつながりができます。
自ら進んで情というエナジーを差し出しているので、その後も相手と無意識につながり続けてしまうことがあるのですが、これをサイキックフックといいます。
同情や憐れみのエナジーを糧として、相手から遠隔で吸い上げられるということはよくあるんですね。
そして、自分のエナジーが枯渇し続ける状態になります。
同情や憐れみでは他者を救えないのは、これが理由なのかもしれません。
自分が「肩代わり」することで疲れ切ってしまい、人を助ける状態ではなくなるからです。
では、どうしたらいいのか。
私は、自分を含めそれぞれの魂に内在する力を見出し始めたとき、同情や憐れみで人を見ることが少なくなりました。
どの魂も、脆弱な魂ではない。
どの魂も、自らの意志で選択して人生を作りあげている。
たとえそれが「不幸」に見えたとしても、その人自身が何をどう選択していくかの権利を持っている。
誰もが、それぞれの人生の責任を負うことができる、その力を持った存在である。
だからその人生において経験していることを、ほかの誰かが肩代わりする必要なんてないのです。
優しさは本来、軽いエナジー
自分の波動を相手の波動に合わせ、自分も重たくなってしまっては、誰も救えない。
人に寄り添おうとしたとき、相手にとって本当に必要なこと、最善のこととは何か。
その真実の部分からずれないことこそが、「いまここ」にあるということ。
「いまここ」にあるとき、人は高い波動を放っています。
相手の状態に巻き込まれずに、自分が「いまここ」にあろうとし続けることで、それは相手に伝播して、はっと気がつく瞬間が相手に訪れる。
こんなふうに本当の優しさを発揮するとき、そこに生まれるのは軽いエナジー。
誰かに寄り添おうとして重たくなったように感じたとき、本当の優しさを発揮しなかった可能性を疑ってみるといいかもしれません。
ヒーリングセッションでも、相手が望むような答えをあげられたら楽なのに・・・と時々思います。
でも、表面的なことを伝えても、何の意味もない。
相手にとって耳障りのいい言葉ばかりを並べることはできない。
その人の本来の力を引き出すためには、その人を本当の意味で助けるためには、何を伝えるべきなのか。
伝えたときに理解されず、感謝されなかったとしても、本当の意味でその人のためになるのなら、それでよいのだと理解しつつあります。
本当の優しさとは、無私によるもの。
エゴフリーになって初めて、発揮できるものなのかもしれません。