第五の目の存在を、知る
昨日、ふと思い立って、自分の染色体の修復と癒しを行いました。
すると、ひとつの「過去世」が浮かび上がったのです。
古代エジプトで、土地の王か国の王か分かりませんが、王位を授かる直前の、群衆の前に出る場面において、覚悟を決めるところでした。
・・・導くためには、頂きに立たねばならぬ
それをただの権力と見なすものには命を狙われるだろう
だが、それも仕方あるまい
私はただ、民に資することに邁進するのみ
王族と血縁があったとか、王の地位を望んでいたわけではないようでした。
その頃は、統治する者は全知、すなわち高次の叡智を携えていたように感じます。
その人の意識から伝わってくるのは、
富とは、叡智による統治によってもたらされる
ということ。
叡智とは、完全に無私の知識。
無私の知識と無私の愛で統治しようとしていたことが伝わってきました。
その感覚を知ったとき、第五の目が開いたサインを受け取りました。
開いたら何ができるのか尋ねると、叡智を受け取り、一度に多数の魂を癒すことができるのだそうです。
何を、どうやって・・・?
それは、そのうち分かるのかもしれません。
いえ、分かる、というより、もう自然にそういう回路を経由して「見る」「行う」ようになるのかもしれません。
第七の目まで、ある?
物理的な2つの目以外に5つのサイキックな目、すなわち第三の目~第七の目まであるという説があります。
第三の目を開くとサイキック能力が開花する、なんて話はよく聞きますが、それはただ、この三次元の物質世界において2つの目で見ているものが幻想なんだよ、と気づき始める入り口に過ぎないのかもしれません。
先のことはわかりませんが、第三の目、第四の目、第五の目と進むと、
目に見えないものを見る。
そこから、真実を見る。
そして、その中に叡智を見る。
という感じなのでしょうか。
叡智と聞くだけで、ワクワクする♪
それ以外は何だかよくわかりませんが、徐々に起こってくる変化に気がつくことがあったら、またシェアしたいと思います。
覚醒とは、目を開いていくこと
折しも、一昨日、animiscentで『魂の進化は、守破離のアプローチで』というタイトルのブログ記事をアップしたのですが、目覚めのプロセスとは、自分や世界を「見る」次元や層に幅や奥行きが出て、洞察に深みが増すということでもあるのかもしれません。
確かに、私のなかで認識している第三、第四、第五の目は、頭のなかで立体的につながっているように見えるのです。そして、常に回転しているようにも。
目覚めのプロセスを進んでいくと、いくつもの閉じている目が開いていくから、意識が拡大していくのでしょうか。
一度見えてしまったら、一度幻想に気づいてしまったら、戻れない。
戻りたいとも、思わないのかもしれません。
幻想より真理のほうが、安寧に近づくから。
それにしても、今日はとても眠いです。
満月が、近づいていますね☆