鏡の法則
人に対する自分の態度や言動が、相手によって明らかに違う、と認識したことはありますか?
たとえば、同じことを別々の人から言われたとして、ソフトに返せる相手とドライに返してしまう相手がいます。親しさや好みの度合いによっても変わりますが、自分が意図して、というよりは、不本意ながら、ドライな態度がその相手にだけ何度か続いてしまうようなとき。
ちなみに、エンパス体質の人は、無自覚であっても、相手やその場のエナジーを吸収していることがあるので、その影響から、自らの言動が「らしくない」感じになることはあります。
でも、それだけではないなぁと、昨夜ふと思ったのです。
連続して、同じような態度を特定の人にだけ取らざるを得なくなるというか、取らされている、というような感覚がここ数日あったので、自分をリーディングしてみました。
そうして得た答えが、「相手の気づきを促すために、その役回りを自ら引き受けている」ということでした。
いわゆる、鏡の法則です。
あなたが見ている世界は、あなたの心が映し出したもの。
あなたの魂の成長のために、そのときどきで必要な人や出来事が、あなたの人生に登場するのです。
学びの精神が旺盛な方は、特定の相手や出来事が、自分にどう働きかけているのかがわかり、なるほどと思えることもあるでしょう。
たとえば、あなたの自己肯定感が低いとします。あなたの世界には、あなたと同じように自己否定感を抱えている人や、逆に、マウントを取ろうとする人が登場して、何らかの形で、あなたの自尊心が刺激されるように設定されています。
そういったことがなければ、「自分の価値を自ら貶めるなんて、もうやめよう」「優劣へのこだわりを手放そう」と気づくことがないからなんでしょうね。
これが逆に、あなたが他者の人生に登場して相手の気づきを促す役回りを演じているという見方もできるわけです。
役割を演じ合う、集合的無意識
私はエンパス体質が強く、ネガティブなエナジーをすべて引き受ける傾向にあります。でも、それに対処する術を学び、今では自分のものかそうでないか見分けることができるようになったほうだと思います。
そのうえで、相手や場のエナジーを吸収して影響を受けた結果というより、「この役をやらされている」感が強いと感じたんですね。
私たちは、この世界で互いに気づきを促す役割を演じ合うという誓いを立てていそうだなと思いました。
人類全体の集合的無意識、ですね。
私たちは無意識のうちに、相手にとって必要な役割を演じることを引き受けている。
でも何だかそれって、自分に選択肢がない気がしますよね。
自分が嫌だなと思う役回りは引き受けたくないし、自分が演じる役割は自分で自由に選択したい。
そこは、全体と個を分けてもいいんじゃないかなと。
それで、その誓いを破棄するというヒーリングをしてみたのですが、どうなるのか・・・楽しみに様子を見たいと思います。
同じ土俵に上がらない
正誤・上下・優劣・善悪、様々な二極のゲームを誰かが仕掛けてくることはあります。
仕掛けられていることに気づいたら、すっと引いて、受け流すというのもありです。
相手と同じ土俵に上がらない。
もちろん、このときの相手や出来事の経験が、いまの自分にとって促している気づきや学びってなんだろう?と思いを巡らせてみることも大切です。
相手が変わっても同じ展開を繰り返すのであれば、それはやはり自分の内側に残っている何か、たとえば二極へのこだわりといったものを、手放す必要があるからです。
気づくことができたら、その学びを終えることも、誰かの相手をすることをやめる選択もできていくでしょう。
相手の学びのために、自分を犠牲にする必要なんて、ないのですから。
すべての登場人物に、愛と感謝を
今日の満月は、全体の一部としての自分を、個として全体から切り離す場面があってもいいし、全体としても個としてもどちらも完璧完全なものとして認識していくといいよ、と教えてくれているようなエナジーに感じました。
あなたの人生に登場する人、展開される出来事は、すべて魂の成長のために自ら同意した魂の計画の一部。
お互いさま、おかげさまと、すべての登場人物に愛と感謝を送りましょう♡
どうぞ、よいアフター満月を♪
自分の人生における
— 𝕒𝕟𝕚𝕞𝕚𝕤𝕔𝕖𝕟𝕥🕊 (@animiscent) 2023年3月6日
すべての登場人物に
愛と感謝を送ろう
相手の学びのため
鏡の役を引き受けるのは
自分も他者も同じ
関わりたくないと思う人がいるとき
相手の言動に反応してしまうとき
自分の内側の変化を促されている
人生のどの場面も
完璧なキャスティングと
ストーリーラインが展開していく pic.twitter.com/vLse6zRytq